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大阪家庭裁判所 昭和42年(少)5922号 決定 1967年9月06日

少年 H・G(昭二八・一二・七生)

主文

本件を大阪市中央児童相談所長に送致する。

同所長は少年に対し、逃走防止のため六ヶ月を限度としてその行動の自由を制限する強制措置をとることができる。

理由

大阪市中央児童相談所長の本件送致の理由の要旨は「少年は昭和四〇年五月二四日児童相談所長により阿武山学園(教護院)に収容されたが、数日後に逃走したので、昭和四〇年九月一日大阪家庭裁判所において児童福祉法二七条の二にもとづき強制措置許可決定を受け、修徳学院強制措置寮に入寮、昭和四一年六月一〇日強制措置解除直後逃走し、昭和四一年一二月五日再び大阪家庭裁判所において強制措置許可の決定を受け、同年一二月二七日修徳学院に入所手続中に逃走し、一ヵ月後に発見保護され、同学院強制措置寮に入寮、昭和四二年五月三日同学院を逃走し、その後昭和四二年三月一日付大正警察署通告による触法事件、さらに同年八月一二日付同警察署通告による触法事件を惹起した。よつて、少年に対し六ヵ月間を限度とする強制措置をとることの許可を求める。」というにある。

よつて、調査したところ、上記児童相談所長の申請理由のうち教護院収容の経緯はそのとおりの事実が認められる。さらに、別紙記載のとおりの触法事実があること、昭和四二年五月三日修徳学院を逃走してから一時伯母方に身を寄せ、その後幼時からの知り合いである○浦某(年齢二八歳位、露店商)に誘われ同人の露店を手伝い、同人方に起居していたこと、少年の知能は魯鈍級、精神薄弱で、性格として対人的不信感が非常に強い点で偏向があること、家庭は父は日雇人夫だが血圧が高く仕事も休み勝ちのうえ、子沢山で極貧状態であること、母親がワイヤー巻きの仕事に出てかろうじて生活していること、保護者の少年に対する態度は生活に追われ全く放任していること(警察に保護されて保護者に呼出しがあつても身柄を引き取りに行かない)等が認められる。

以上の諸事実を総合すると、少年には家に落着く意思がなく、保護者も少年を監護教育する経済的知的能力はないので少年の資質からすれば少年をこのまま放置しておけば、再非行に走るおそれは十分にある。ところで少年に対してこれまで再三に亘つて教護院収容による矯正教育が試みられたが、その都度少年の担当者に対する強い不信感が原因となつて逃走をくりかえし、矯正効果が十分あがつておらず、少年の今後の指導は非常に困難が予想される。といつて、ほかに少年の保護に適切な社会資源もない。ところで、少年の対人不信感も長期に亘り専門家の誠意ある接触があれば、その心情の交流から次第に融和、消滅して行くことも期待できるのであつて、教護院の担当係官も今まで以上に意欲をもつて少年の教育に当ろうとしていることもあり、一方、当面早急に少年の梅毒を治療する必要もあることも考慮し、少年の健全な育成をはかり、社会適応性を身につけさせるために今回は教護院に収容し、相当長期の強制措置を講じたうえで同院に定着させ矯正教育を施すことが適当であると思料し、少年法一八条二項を適用して主文のとおり決定する。なお、児童相談所長作成の特別送致書記載の昭和四二年八月一二日付大正警察署通告による触法事件の事実が十分でないので認定できない。

(裁判官 坂井宰)

別紙

触法事実

少年は昭和四二年一月○○日午後一〇時頃、大阪市住吉区○○○○町○○○団地内空地に置いてあつた峰○春所有の第二種原動機付自転車一台(時価九、〇〇〇円相当)を窃取したものである。

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